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佐伯貴弘の「隠し玉の極意」に思い出した牛島政権時代の彼の勇姿

2017年3月25日に放送された「球辞苑」の開幕直前スペシャルで,佐伯貴弘が「隠し玉」の極意を語っていた.

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佐伯曰く,現役時代に隠し玉を成功させたのは一軍で3回だったと語っていた.
2001年,巨人の清原和博を刺殺した隠し玉が有名だが,私にとって印象深いのは 2005 年 5 月 8 日の交流戦,ロッテのサブローを刺殺した隠し玉だ.

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この試合,ベイスターズの先発投手である加藤武治から始まり,吉川輝昭岸本秀樹と打ち込まれて 18 失点.そんな中で,一塁側内野 FA 席で私が目の当たりにしたのが,一塁手だった佐伯による隠し玉だった.当時のロッテ監督ボビー・バレンタインが必死の形相で抗議に出るも判定は覆らず,ロッテの攻撃はスリーアウトチェンジとなった.

「球辞苑」にて,佐伯は隠し玉のことを「投手が何を投げても打たれて止まらないときに,どうにか野球のルールの範囲内で出来ることをして,試合の流れを変えるための手段」と言った.
この番組で取り上げられることはなかったが,佐伯の脳裏に,あの日ボロカスに打たれ,翌日3人揃って二軍落ちとなった投手たちの姿があったんじゃないかな,と思うと,10年以上前の時間を少しだけでも共有できたような気がして,なんだか嬉しかった.

この年,なんとかベイスターズは滑り込んで A クラスとなるが,翌年は投手陣が崩壊,打線も大味で淡白な攻撃を繰り返し最下位となり,この2年のあいだ指揮を執った牛島和彦は退任した.
この頃,石井琢朗とともにチームを引っ張っていたのが,1998 年の美酒の味を知る数少ない選手となりつつあった佐伯だった.
忘れもしない 2006 年の開幕からの日々,有力な外国人野手なしで迎えたペナントレースで,佐伯は打率がいくら1割台を彷徨っても4番を打ち続けた.ファンもメディアも「4番村田修一」待望論を掲げるようになっても,報道陣からの質問に「他に誰が4番を打てますか」と突き返した牛島監督の鼻の穴はいつもより広がっていたように見えた.

おそらくいつまでも忘れないであろう4月28日.石井,そして金城龍彦が繋いだチャンスで,佐伯は3点本塁打を放ってみせた.

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試合が始まる前は,先発のジェイソン・ベバリンが何球投げるかなんて親友と呑気に右翼席で眺めていたものだったが,あの本塁打には興奮したものだった.ヒーローインタビューを見ているときは,「泣いてんじゃねーよ」って,野次ってたけれど.

ただ一言,「チームをなんとかしたい」という現役時代の想いを口にした,少し老け込んだ佐伯の姿を見て,ガラガラだった横浜スタジアムのフィールドでプレーしていた彼の姿を思い出した.


それにしても,隠し玉をひとつ取っても「球を隠すミットの使い方」「審判には隠し玉を認識させる」など,まったく知らない極意を次々に明かしてくれる球辞苑のレギュラー放送が終わってしまうのは非常に惜しいものがある.
確かに,現役選手の声を聞いてナンボの番組で,シーズン中に口を割らせるのが難しい話題もあるだろうから,是非とも 2017 年のシーズンを追いながら,今秋からの再始動に向けての種まきを期待したい.